誰もが小さいころから覚えているラジオ体操はなんと三代目だった

ラジオ体操というと、ミンミン蝉が空いっぱいに鳴く盛夏、毎日校庭で朝早く始まった『今日も元気に…』を思い出します。
あのころの夏休みはミンミン蝉とラジオ体操と8月の終わりに残った宿題なのですね。子どものころの思い出は何十年たってもハッキリと残っているものです。

さてそのラジオ体操ですが、実は日本の「発明」ではありません。

 

アメリカの生命保険会社が発明したラジオ体操

 

 

日本のラジオ体操に繋がるオリジナルの「ラジオ体操」は、1925年にアメリカのメトロポリタン生命保険会社がスポンサーとなっていた「Setting up exercise」をもとにしていると言われています。健康増進・衛生思想の啓蒙のために考案されたラジオ体操番組でした。

それを見た逓信省(現在の総務省または旧郵政省)による日本からの海外視察団が、その体操事業を帰国してから紹介しました。そして、簡易保険曲(かんぽ)、日本放送協会、文部省の協力で「日本のラジオ体操」が始まったとされています。

メトロポリタン生命保険会社の当時のポスターはコチラ。

 

初期アナウンサーはブリーフパンツ1枚で体操を

 

1928年にはようやく「国民保健体操」が発表され、ラジオ放送が開始されました。全国放送でその「国民保健体操」が始まったのは翌年の1929年です。
放送を担当したのは江木理一アナウンサー。軍人出身で以後1939年まで無欠勤で担当していたといいます。

エピソードには事欠かないひとだったらしく、放送当時はブリーフパンツ1枚でマイクに向かい、体操していました。ところが、昭和天皇の第一皇女である照宮成子内親王も聴いていると聞き、驚いてそれ以後は蝶ネクタイに燕尾服の正装で放送に挑んだという逸話が残っています。

もうひとつの逸話は、1936年2月26日早朝の二・二六事件について。その日の早朝、愛宕山の東京中央放送局に出勤する江木理一は、決起部隊の兵士にとめられたのだそうです。そのとき彼は「アナウンサーの江木だ。これからラジオ体操の号令をかけに行くのだ。通せ」と言って、兵士に道を開けさせました。さすが軍人あがりの江木理一ですね。

 

現在のラジオ体操第一は3代目

 

1928年に始まったラジオ体操は1946年まで続きました。これが1代目。そして、その1946年のは2代目のラジオ体操第一が服部正によって作曲されましたが、これはなぜか2年しか続きませんでした。

皆さんがよく知るラジオ体操第一は、1951年にやはり服部正が作曲、発表されました。これが現在でも「ラジオ体操第一」として知られているメロディーです。

 

学校から職場まで幅広く行われており、現在でもほとんど誰もがこのメロディーを聴くと身体が動くと言います。それほど、みんな何度も体操しているんですね。

ラジオ体操には第二も第三もあるのですが、ほとんどのひとにとってはこの第一が「ラジオ体操である」と言ってもいいと思います。

 

オマケの「ラヂオ体操第四」

 

さて、実は「ラヂオ体操第四」もYouTubeにはあります。知っていましたか?
最初はまじめに「ふむふむ」と見ていましたが…「あれれれ、なんだこれは?」となります。

どうぞご覧ください。

 

いや、もちろん誰も真似ができるわけもありませんが、冗談としてはとてもよくできています。
そして、それほど「ラジオ体操」が国民の間に浸透していることの証なのですよね。