「武士のカガミ」の漢字が「鏡」ではないのは意味が違うからだった

「武士のカガミ」「教師のカガミ」「料理人のカガミ」「警官のカガミ」などという言葉は、使ったことがあるひとも見たことがあるひともいると思います。

そして、大半のひとがこの「カガミ」を「鏡」だと思っているのですが、実は「鑑」なのです。

 

「鑑」という漢字の意味を知る

 

「鑑」(かがみ)は「表外訓」で常用漢字ですが、常用漢字表にその読み方が載っていない漢字です。つまり、書くときは平仮名か読みのふりがなをふることになっています。普通の音読みは「カン」なのです。
「鏡鑑」(きょうかん)とも言いますが、手本または模範を意味します。

たとえば「教師の鑑」は、「教師の手本とも言うべき立派なひと」という意味になりますよね。ですから、「◯◯の鑑」と書かれていたら、その〇〇のお手本または模範となるべきひとのことを指します。

「鏡」はひとやものの姿を映す物体ですが、「鑑」はもっと抽象的なものなのですね。

鑑を訓読みすると「鑑みる」(かんがみる)となります。こちらは常用漢字表にも載っています。
お手本と照らし合わせるたり、先例や規範を参考とすることです。「過去の失敗に鑑みて、もっと丁寧に仕事をしなければならない」などのように使います。

 

でも「鏡」とも関係が深い「鑑」

 

「鑑」は「鏡に照らし合わせて真の姿を考え、見きわめる」という意味で使われることもあります。
こちらは漢字の熟語となりますが、知っているものもたくさんあることに気づきます。

「鑑査」「鑑定」「鑑識」「鑑別」「鑑賞」「鑑札」

どうでしょう。どれも、真の姿を見きわめるために使われている言葉ではありませんか。

 

現代社会で使われる「〇〇の鑑」とは

 

 

「人間の鑑」「人の鑑」などと言われるひともいます。
高潔で、なんのゆがみもなく、道徳感もあり、人間として見習うべきところの多いひとのことです。自分だけがそう評価するのではなく、周りのひとも同じような尊敬・畏敬を持たれなければなりません。

そんなひとが周りにいたら、とても有意義な日々になるような気がします。学ぶことも多いし、その人を手本として自分を高めることもできるからです。

若いひとたちには、そうした「〇〇の鑑」とも言われるひとを一度は探してみていただきたいと思います。「教師の鑑」でも「医者の鑑」でも「映画監督の鑑」でも、卓越した才能と規範となるものを持っているひとなら、どんなひとでもかまいません。

男であろうと女であろうと、そうしたひとたちがなぜ「〇〇の鑑」と呼ばれるのかを考えるよい機会なのですから。